存在価値

コロナのおかげで教室を休み、普段の生活で出来なかったことをじっくり時間をかけてできるのは嬉しいことです。

 

約束の無い毎日は始めは不安で、働かないことで不安になり落ち着きませんでした。

 

この数日間ずっと疲れていたのでゆっくり眠り身体と心を休ませています。

 

また、少し先に実現したいことのために今何をすれば良いのかをあれこれ妄想しています。

 

今まで色んなことに興味を持ち関わって来ました、

この数ヶ月で大切なことは毎日の生活の中で生きることに欠かせない食べること、居場所を整えることがまず出来なければ他の事をする為のエネルギーを生み出せません。

これから先子供達が結婚して家族が増えて集まるときに必要な食事をいつでもサッと美味しく作れたら良いなと思います。

着るものも必要ですが食べることは毎日欠かせません。

 

息子とも料理を通して関われると良いなと思います。

 

今までの生活リズムを変えて、夕方買い物をしていたのを早い時間にサイクルをかえてみたら、夕食の準備もゆっくり出来るので新しいメニューに挑戦もでき楽しいのです。

料理が嫌いなのでは無く同じものを作るのがイヤでした。

 

また、主人には「働かざるもの食うべからず」と言う信念がありり、それはずっと変わりません。

しかしそれならば今の私や息子はうけいれられないということになり、罪悪感を感じていました。

でも、働いていなくても楽しく生きる権利があるはず、だから拗ねずに毎日生活の為に動いていることに誇りを持ち自分を大切にしよう。

 

言い換えれば主人も働くことが家族を養っている証拠でそれに存在価値を見出し他の面を重要視していない為家族と積極的に交わろうとしません、なのでたまに家に帰っても居場所が無く疎外感を感じたようです。

私は一緒にいるだけで安心出来るしエネルギーをもらえて嬉しいのです。

 

定年で仕事を退職した後は生き甲斐を見つけてもらいたいなと思います。

 

少しお互いの距離も持ちつつ、同じ時間を自然体で過ごせるようになりたい。

それぞれ自分のペースで生きてきたから慣れるまでには時間を要するでしょう。